自分が不幸になるだけでなく 家族や職場にも迷惑をかける

20代男性 2008年手術

手術の種類:イントラレーシック

2008年に東京の大手クリニックでレーシック手術を受けた。
それから人生が劇的に悪い方向へ変わった。
20代も半ばで大きな病気などしたことなく健康的に歩んでいた、
それまでの人生が完全に終わってしまった。
手術から4年という時間が経ったが、例えようの無い不安感、
絶望感、未だにこれらと毎日向き合っている。レーシック手術による
後遺症で視覚障害者並びに身体障害者(後述)になると自分の人生を
破滅させるだけでなく家族や職場をも巻き込む。
 
具体的には、レーシック手術後遺症の社会的認知が殆ど進んでいないので
年金などをそれまできちんと納めていても障害年金などの 社会保障制度、
セーフティネットがレーシック後遺症に対し全く対応できていない
(国民年金の場合)、そのためレーシック手術が原因で私のように
働くことが出来なくなった場合、これから記述するような目の症状から
障害年金などを受給することは不可能で、金銭的には家族の世話に
ならざるをえないのである。
そして、働くことができないので、どんどん金銭的に切迫していき、
家族にも自分が安易にレーシックをやったことにより大きな負担をかけ、
さらには眼の状態、身体の状来が辛くとも、金が無いので病院へ
通院することはできなくなり、
それまできちんと納めていた年金も当然支払うことはできなくなる。
これがいまの私の状態だ。
 
それでも、自分のようにいま現在家族に 助けられている場合は
まだ救われてるほうで、独り暮らしの方がレーシック手術で重い後遺症を
発症した場合は、生活保護を受けて生きていくしかなくなる。
レーシック難民の中には、実際にそういう患者さんたちがいるのである。
 
■<大手クリニックは危険>
 私は「交通費補助制度」なるものを利用して地方から上京して、
レーシック手術を受けた。手術前検査→手術→翌日検診という短い流れである。
術前の検査は全て担当者が異なる分業制の完全な流れ作業。
手術、翌日検診もそうであった。違和感を感じたものの、
「流れ作業でも問題ないからあえて流れ作業なんだろう」と思っていた。
手術を終え、翌日検診では目が痛い、調子がおかしいということを
医師に訴えたわけだが「問題ないですよ」との回答。
それから飛行機で自宅へ帰宅しなればなかったし、地方から上京して
手術を受けた患者用にと、術後の検診用にと地元の病院のリストを見せられた。
これは医者でなく、アルバイトのような女性からである。
そこでいくつか地元の眼科名が掲載されていたのだが、自宅から
アクセスしやすい眼科を選択し、帰宅後、そこに通院することになった。
 
紹介された地元の眼科に行ってなにより驚いたのが、
その眼科がそもそもレーシック手術を手がけていない眼科だったことである。
何度も通院し、症状を訴えたわけだが、目薬を処方されるだけで
有効な対処法を提示されない。これはダメだ、と思ってそのうち通院しなくなった。
レーシック手術を手がけていない眼科医にレーシック手術後遺症が分かるはずが無いからである。
 
また手術を受けたクリニックでは、無料のメール相談というものをやっていた。
私は既に帰宅して自宅にいたし、術後すぐに眼や身体にわけのわからない
異常な症状が出て混乱しており、飛行機を利用して再度、気軽に東京へ
行くのも難しい。なので無料のメール相談を利用して、何度もクリニックへ
症状を訴えた。返ってくる内容はいつもコピペのようなものであった。
「3ヶ月は待たないと分からない」「時間の経過とともに症状は
「改善」していく」(「改善する」とは表現されていたが「治る」とは
記載されていなかった)
   
このように毎回のらりくらりの極めて曖昧かつマニュアル的な内容。
手術後直後から眼と身体に異常が出て、仕事もできず、毎日死にそうに
なりながら過ごしているのに 「3ヶ月待て」とはどういうことか?と思った。
そしてその頃から「これは絶対におかしい」と思い、手術を受けたクリニックの
ことやほかにレーシックで異常が出た人がいないのか?(PCの画面も術後から
異常に眩しく感じ、光が突き刺さるような視界になり眼の状態はそれまで
経験したことのなかったほど辛かったがそれでも)とにかくネットを
利用して調べまくった。
すると某掲示板にて、同じように術後に苦しんでいる患者たちが
多数書き込みしてるのを知り驚愕した。
また手術を受けたクリニックが、既に週刊新潮からも問題視され、
特集されているようだった。
 
 告発された「レーシック手術」最大手クリニックの詐欺的商法
    週刊新潮 2008年8月7日号
http://www.optnet.org/syujyututaisaku/news-80807.html
 
その後2ちゃんねるなどでもクリニックが警察OBを用心棒として雇っており、
不都合が起きて訴える患者らに対して対応させてるなどの書き込みも読み
怖ろしくなった。厚生労働省参事官が天下りしてるなどの記述もあった。
これらを読み、とんでもないクリニックで手術を受けてしまったんだと知り、
深く後悔した。
 
しかしどれだけ後悔しようが、もう二度と手術前の状態には戻れないのだ。

 
■<ガイドライン違反とオプトメトリスト>
手術前の私の眼は、日本眼科学会が設けているガイドライン(-10D)を
超えた最強度近視眼であった。
このガイドラインには以下のような記述がある。
 
「近視については,矯正量の限度を原則として6 Dとする。
ただし,何らかの医学的根拠を理由としてこの基準を超える場合には,
十分なインフォームド・コンセントのもと,10 D までの範囲で
実施することとする.なお,矯正量の設定に当たっては,術後に十分な
角膜厚が残存するように配慮しなければならない。」
 日本眼科学会屈折矯正手術ガイドライン
 
しかし私の目がガイドラインの既定を超えてる眼だとは、手術前の診察を
担当した医者、手術を受けたクリニックの人間の中の誰一人として
教えてくれなかった
 
加えて、先日新たな眼鏡作成のため眼鏡屋に通ったが、そこのご主人に
上下斜位及び外斜位を発見され、さらにそれらの眼位の異常をレーシックの
手術前から元々もっていた可能性が大きいと指摘された。そして、それらの
眼位異常がレーシック手術によってさらに悪化したのでないか?と
 
海外の先進国では眼科医と並んで『オプトメトリスト』なる専門職の制度が
ある国が殆どである。両眼視機能や視機能、眼位に異常がないかなどをみる
スペシャリストであり、眼科医と同じ高い地位にあるとのこと。
殆どの先進国にはある職業なのに、なぜこの職業が日本には無いのか? 
それは40年ほど前に日本でもオプトメトリストに該当する眼鏡士という
職業を認めてはどうかという法案が出されたのだが、眼科医師会の反対に
よってつぶされたからである。日本でもこのような職業制度があり、
両眼視機能や眼位異常を診断するスペシャリストが仮にいたのならば、
私やレーシック後遺症に苦しんでいる多くの患者らが手術前にレーシックに
適していない患者としてスムーズに判別されレーシック被害者とならずに
済んだ可能性が大きいのである。
 
なぜならば、手術後に私を診察した眼科医の殆どが眼鏡屋のご主人が
指摘してくれた両眼視機能や眼位異常について発見できず、それらの知識すら
持ち合わせてなかったと思わざるをえないからであ る。 
両眼視機能や眼位異常に関しての知識を持ち合わせていない眼科医らが
現在も『屈折矯正手術』を行っている矛盾に非常に寒気を感じる。
補足しておくと、唯一、私の両眼視機能及び眼位に異常が起きていることを
診察の際に指摘してくれたのは再手術をしてくれた元楽視眼科顧問医師の
吉田憲次先生のみだった。
 
 
■<眼科専門医はレーシック安全の根拠とならない>
  吉田先生は「眼科専門医」では無かったが、大学病院の教授、有名眼科の
偉い先生ほかの誰よりもレーシック後遺症に知識があり、有効な治療を
私に施してくれ症状を楽にさせてくれた。単純に眼そのものだけを診るのでなく
眼と脳、眼と身体、眼の内面の繋がりのことも診察の際に指摘してくれた。
つまりはレーシック手術によって眼を悪くしてしまうと、眼と密接に
連絡している脳や身体、内面までも連鎖的に病んでしまうである。
そんなわけで、レーシック手術は「眼科専門医」のもとでとレーシック業界は
謳ってるが、自分のこれまでの経験からいわせれば、その根拠が分からないし、
レーシック手術の安全性と関係が無いのである。
そもそも眼科専門医を履修する過程で屈折矯正手術の研修や項目などは
あるのだろうか?
 
ちなみにレーシック難民となって苦しんでいる患者たちの多くは眼科専門医のもとで手術を受けて重大な後遺症を背負うことになったのだ。

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 ※編集者追記:
 日本の医学系大学における屈折に関する授業は現在多い大学で10時間、
 少ない大学で1時間、講義のみで実習はありません。両眼視や眼位、
 プリズムについての記述は教科書に単語として載っているのみです。
 だから術後に被害者が眼位の異常を医者に訴えても
 「専門外だから(診れません)」と相手にされないケースも発生しています。
 
 そのような理由で眼科医は屈折検査はできないが、眼鏡の処方箋に
 判だけ押し、そしてその処方箋が絶対であるという異常な事態が
 まかり通っています。日本の眼科の屈折レベルは、諸外国と比べて
 10年単位の遅れがあると言われているほどです。 
 その根拠に諸外国で屈折検査の際に使用されているフォロプターという
 機械の動画を上げます。

 

 皆さん、この機械を眼科で見たことがありますか?

 これは諸外国では普通に使用されている検眼の機械なんです。

 日本でも意識が高い眼科では導入されている場合もあります。

 ちなみにこの機械がなくても、手動でマドックス検査などの

   自覚的両眼視検査が出来る熟練の検眼者も日本には存在します。

 ただ、普通に探していたのではめぐり合う ことは無い少なさです。 

 

 オプトメトリストの制度はアメリカやヨー ロッパだけでなく、

 もはや中国や韓国にもあるのです。屈折矯正に対する知識は大学の講義だけ、

 医師免許獲得後、屈折矯正の知識は一切更新されず、眼位異常の患者が

 きても、自分の知識では診断できないのでとりあえず「ドライアイです」

 「眼精疲労です」としか言えない・・・こんな眼科医たちが屈折矯正や

 めがね処方を行う国は日本だけです。

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<視力症状>
 
『視力には様々な種類がある』
 
次にレーシック手術後に発症した後遺症について具体的にお伝えしたい。
 
先ず最初に一番大切なことを。
 
術 前に、レーシック手術を受けることを検討してる人たちは、
いま現在矯正する手段として使用してる眼鏡やコンタクトレンズの見え方と
比較してるがレーシック 手術を受けてしまうと根本的に様々な生まれ持った
「見え方の質」という大切な視機能のバランスが崩れ、悪化してしまう
可能性があるということだ。
視力には 遠くを見る能力である「遠方視力」以外にもいろいろな「種類」が
あるのである。「視力」には様々な「種類」というものが存在するのである。
それらのバラン スが、私のように「視力」の一要素である「遠方視力」を
過度に引き上げられたことによって破壊され、脳や身体にもその影響が出て
日常生活に深刻な影響を及ぼす可能性がある。
 
要するに眼鏡やコンタ クトレンズで矯正していたバランスの取れた
「1.0」という遠方視力と角膜を焼き削り、人工的に作り上げた
レーシック手術後の「1.0」という遠方視力は表面上の数値は
一緒だとしても、「見え方の質」という点で中身は全く別物だと
いうことである。
少なくとも私や周囲の同じ後遺症に悩まされてる患者さんらはそうである。
当然 このようなことは手術前には私も一切気づかなかった。
眼鏡やコンタクトレンズと「同じ見え方」だろうと思っていた。
しかし、それは違った。
 
手術後の酷い見え方になって初めて、眼鏡やコンタクトレンズで矯正していた
普通の見え方 というものがどれだけ完璧だったものなのか?
また美しい視界だったのか?身に沁みてわかるようになった。
普通の生まれ持った自然な見え方というものがどれほど完璧で
素晴らしかったものなのか。
 
自分が後遺症を背負う患者となり、また多くの同じような患者と話をし、
ときに再手術をした病院で出会った「レーシック手術を成功してる」と
言っている患者さんからも
 
「私も手術後しばらくは視界の色がおかしくなったり
 光が眩しく見えるようになったよ」
 
とか
 
「でも近くが未だに見えづらいんだよね」
 
というような文句を聞くようなことがあった。
これはいったいどういうことなのか?
 
ここで、私の眼を再手術してくれた吉田憲次先生の著書の文章を
紹介したいと思う。
 
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 視力とは遠くを見る力だけではなく、「バランスが命」
 
視 力には様々な種類があります。ふだん視力検査で測定しているのは
「遠方視力」と呼ばれ、遠くがどれだけくっきり見えているかを数値化
したものです。逆に、 近くがどれだけ見えているかは「近方視力」と呼びます。
他にも、色を認識する「色覚」や、立体感や遠近感、距離感などを認識する
「深視力」、動いているも のを認識する「動体視力」、暗いところで
モノを見る「暗視力」などが あります。
つい遠方視力ばかりに目がいきがちですが、遠くを見る力だけでなく、
これらの視力がバランス良く働くことで初めていい視力といえるのです。
 
レーシックで「遠方視力」を過度に引き上げることで全体のバランスが崩れ、
色のコントラストが下がったり、遠近感がつかみにくくなっ たり、
視野が狭くなるという現象が起きることがあります。遠方視力だけに
かたよらず、見え方のバランスが大事だということを覚えておいて下さい。
 
(吉田憲次著 近視矯正手術「レーシックで失敗しない本」20P)
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『視界の色が暗く、汚く見えるように』
 
私は手術後に2.0という遠方視力が検査に出るようになったわけだが、
事実、吉田先生が著書で指摘されてるように、色覚もおかしくなり、
視界の色が異常に暗く、そしてドブ水を通 して見てるように景色が
汚く見えるようになった。透明感が失われたのである。さらには写真を
加工する際のセピア効果のように、視界の色が全体的に全て
赤黄色がかってみるようになった。
 
調べてみると、白内障手術を受けた人や黄視症の人にも同じような
見え方を発症するケースがあることがわかった。
そして、やはりレーシック手術を受けて同じよ うな見え方になった人が
いることも知った。当然慣れてないので透明感がなく、気持ち悪い。
手術後4年経ってもこのどうしようもない違和感はとれない。
 
視界の色がこのように見えるようになることによって、どういうことが
日常生活上で起きたかというと、外出すると街中にたくさん置いてある
自動販売機や信号機の赤色が異常に目立つよ うになり、また赤系の色が
極端に恐ろしい色に感じるようになり、赤い色が視界に入るたびに
鳥肌が立ち嘔吐しそうになり、頭痛が発生するようになった。
 
視界の色が過剰にセピアがかって見えているため、自分や家族や
友人の肌の色も日焼けしているのか、そうでないのか、
レーシック手術後からもうよく分からないのだ。

 (この比較画像を見て、当然疑問に思われる方がいらっしゃるだろう。

 つまりいまは視界の色も手術後の見え方になっているのに手術前の見え方と
 どうやって比較し提示できたのか?と。これは私と同じような見え方に
 ならずとも着色効果のついた眼鏡をかけていただけたらすぐに分かると
 思うが、明暗感や視界の色の基調が変化してもその基調の中でさらに
 色彩の差異の判別が可能なのである。
 
 だから私はいまの見え方の中で、写真をさらに比較し、以前はこうだったと
 可能な限り提示してるのである。この文章を読んで下さってるみなさんの
 色の基調と異なってるとしても。元々私の色覚がおかしかったわけでなく、
 ほかの後遺症同様にレーシック手術を境に劇的に視界の明るさ、色の見え方が
 悪化したのだ)
 
 
 
■『暗所視力の低下、光のギラギラした眩しさ、ゴースト現象』
夜景もレーシック手術によって、恐ろしい、酷いものになった。
単純に、遠方視力も暗い場所では極端に落ちるのだが、それに加えて
視界の色の見え方が手術後に大 きく悪化したのと同様に夜間の暗黒感が
急激に増し、異常に暗い視界になってしまった。
これも遠方視力では検出されない、機械では決して数値化できない重要な
見え方の要素なのである。 
ランドルト環は2.0以上容易に判別可能なのに、夜間やうす暗い場所では
体感的に0.1も見えてるかわからないような視界に なった。
さらにその暗い視界の中で常に光がギラギラ眩しく見えるようになった。
夜間の運転など危険過ぎて 絶対に不可能な視界である。
私の夜間の視界が、免許更新の検査員に提示できるならば、即座に
運転免許とりあげになるレベルである。
 
尚、ハロ、グレア、スターバーストなどの光のギラギラした見え方は
夜間のみに発生するものでなく、昼間も対向車の角度によって
スターバーストは発生することはあるし、レーシック手術以降、
全ての光の反射がグレアのように放射線状に拡散して見えるようになった。
スターバーストについてYouTubeに非常に正確に再現してる動画があるので
参考にして頂きたい。

 (いま現在レーシック手術を受けこのような見え方になった人々が我慢しつつ

 たくさん夜間に運転してるならば、本人だけの問題でなく、他者も巻き込む
 可能性のある重大な公共健康問題だろう)
 
また、うす暗い場所や室外から室内など明るさが変化する場所へ移動するとゴースト 現象といって視界が霧のようなもやに包まれるようになった。室内の電源コードなどもぶれてみえる。暗黒感の増した暗い夜空の中で、星までもがギラギラとグ レアのような嫌な輝きかたをし、月や信号機は何重にもぶれてみえるようになった。 ハログレアは時間とともに改善していくとのことだったが、4年経っても全く変わらず、常にこのような嫌な見え方で、目が痛くなり頭痛が発生するため、夜間 も殆ど外出しなくなった。
もう長い期間、もう何年もレーシック後遺症を向き合っている同じようなレーシック難民たちがたくさんいる。このような人たちは、もうどんな治療 しても、症状はよくならないし、現実が変わらない、ということを心底身に沁みてこれまで感じてきているので、眼がすぐに疲れるし、同じ患者とも労力を使うだけで面倒になるから、連絡を取ろうとすることはしなくなる。眼のことを思い出したり考えることは確かに非常に辛いから、これはとても自然な感情だと思 う。あまりに長い年月を有効な処置を施されることなく、レーシック後遺症と闘っているため私の周囲にも「死にたい」「なんのために生きているかわからな い」「死にたくなってきた」なんていう患者が出てきている。
 
このように多くのレーシック被害者の存在は多方面から隠蔽され、いまも広範囲に社会認知されていないのだ。
 
私の体験談を読んで頂きありがとうございました。