適応範囲上限にも関わらず手術でそれ以上削られた

何とか楽にならないか検眼セットまで購入。こんな物を素人で持つ必要があるのはレーシック難民以外いないのではないでしょうか?
何とか楽にならないか検眼セットまで購入。こんな物を素人で持つ必要があるのはレーシック難民以外いないのではないでしょうか?
40代男性 2011年手術
手術の種類:イントラレーシック
 
 
■手術を受けたきっかけ
2011年に手術を受けました。
レーシックを考えたきっかけは、
周囲にそれなりにレーシックを
している人がいたのもありますが、
それに加え、コンタクトレンズの
処方に行った際、
「角膜内皮細胞の減少により
これから先、コンタクトの処方は
出来なくなる」との通告を受け、
その時にある程度の決意をしたためです。
コンタクトレンズを長期間使用していた場合、
角膜内皮細胞の数がだんだん減少していくといわれております。
数が一定数を下回ると、様々な症状が現れてきます
今考えるとこの決断が地獄の扉への入り口となってしまいました。
 
この最初に受けた角膜内皮細胞数の検査は不正確なものでした。
角膜内皮細胞数を調べるには、本当は特殊な機械が必要なのですが、
私を診察した医師は、機械での調査を元にではなく、通常の検眼結果のみから
「角膜内皮細胞数が減少しかけている」と私に告げたのです。
後になって医者(眼科専門医であるかは定かではないが医者なのは間違いない)
がこのような適当な診療をしている現実を知りました。
レーシック術前に機械で計測した結果、私の角膜内皮細胞数は正常範囲でした。
しかしこれを知ったのはレーシック後です。
角膜内皮細胞減少の話さえなければレーシックはその時点では
間違いなく行わなかったと思います。
  
■インフォームド・コンセントについて
日本眼科学会が定めているレーシック手術のガイドラインでは、
手術を行うにあたり、特に屈折異常が大きいなど
リスクが高い患者には、医者は患者にインフォームド・コンセントを
しなければならないということになっています。
どのような方法が最適であり、患者の希望が
あっても危険な場合はその旨説明して説得したり、
ガイドラインに抵触するのであれば、それを必ず伝えなければ
ならないというようなことが記載されています。
 
私は屈折度数がガイドラインでそもそも「手術適応」と
定められている数値の範囲上限であるため、もしガイドラインに
照らし合わせれば手術は不可能に限りなく近いものであり、
これに対してリスク等の詳しい説明をした上で手術を
行うのでないとならない患者です。
しかし術前の説明としてあったのは、医者ではなく視能訓練士からのもので
「将来老眼鏡が必要になる」ということだけでした。
医者からは術前に「近視が強いので戻りが大きいから少し強めに
矯正します。再手術も可能です」と言われました。
ちなみに「強めに打つ」ということはガイドラインを超えて打つことになります。
また角膜内皮細胞に関して問い合わせたら「特に問題ないです」。
たったこれだけでした。
検査の数値的な説明は一切無く、パンフレットにあるような
3時間検査というものはそもそも存在さえしなかったのです。
事実、3時間の検査予定で乗ろうと思っていた帰りの特急電車を
一本早く出来たくらいです。
 
■術後の症状
術後一日目に右眼が乱視のようにダブって見えていました。
しかし「問題は無いので一週間後に検査」ということで診察は終了しました。
帰宅してパソコンを見ると、右眼では全く文字が読めないのです。
おかしいとは思いましたが、一週間我慢しました。
すると、少しは見えるようになったものの、遠くが気持ち悪いくらい
良く見えるのです。
 
体調もおかしくなりました。
一週間後の検診で手術後に出たこれらの異常を
全てを訴えました。しかし「問題はありません」との返答なのです。
しかし医師の態度は明らかに不自然でした。
後のカルテ請求で知ったのですが、この時点で非散瞳にてのオートレフで
私は両目共に重度の過矯正となっていました。
なのに施術クリニックは私には黙っていたのです。
 
家に帰り、体調が明らかにおかしくなり始め、
吐き気、寒気、食欲不振、頭痛、眼痛など、手術前には
一切考えられないことが起こり始めました。
体重も一気に減り、最終的に職場で倒れました。
すぐに近くの病院に行って、そこで初めて遠視ということが解ったのです。
+2.0という値が既に出ているのですが、そこの医師(レーシック医でもある)曰く、
これくらいは大したことが無い。とにかく手術したところに行ってくれと
軽くあしらわれました。
 
その日に電話をして最初は老眼鏡でどうにかなるはずとか言われたのですが、
その様な次元ではないと伝えたところ、「すぐに来てくれ」とのことで
翌日訪院しました。
検査後は医者から「少し行き過ぎてしまったようです。非常に稀なケースです。
落とすにしても一回で落とすのは危険です」と言われ、とりあえず
全てを委ね、遠視を落とす再手術をしました。
その時はまだ違和感があったが数日後少しだけ楽になりました。
しかしそれも長く続かず、吐き気や不眠、頭痛、眼痛の再発、
めまいに悩まされるようになりました。
この日から様々な病院を転々とする、いわゆる「レーシック難民」と
なってしまったのです。
 
後で解ったことですが、この時点で自覚的検査で+3.0位の
遠視だったのではないかと思います。
この後、他院に行くのに必要なためカルテを二回ほど請求したのですが、
一回目には無ければならないはずのカルテがありませんでした。
このカルテは、上記の医者が黙っていた遠視の値を示すカルテです。
また、術前に再手術出来ると言われていたのに、角膜厚は片目は
既にほぼ残っていないことが判明しました。
セカンドオピニオンを求めて受診した別の病院では、偏心照射
(レーザーの照射位置が本来照射しなければならない位置から
ずれていることです)であることも判明しました。
手術をしたクリニックでは、「(過矯正によって生じた遠視を)
二度に分けて落とす」と言っていたのに、
「二度目の手術の数ヵ月後にこの値では手術は出来ないですよ」
言われました。
 
他のクリニックを転々とするのは本当に辛いことです。
毎回、検査など全て最初からやり直しになるのです。
そして、それで何か判明すればいいのですが、最終的には
「原因は不明です」と言われるのです。
私の場合眼球の運動にはっきりと異常が出ているため他の病院でも
診てもらえるのですが、もし目に見えるような症状が無い場合、
門前払いも多いようです。
 
親切に、親身にしてくださり、メールや電話でアドバイスを下さる
お医者様もいます。
これだけの病院を廻っているのに患者が困っていると感じない医者を
嘆くお医者様もいれば、君は精神病だから精神科に行きなさいという医者、
実際に受診した精神科では、良い先生にめぐり合えたのですが、
そこではっきりと「君は確かに精神的にきつい思いをしているが
治すことをあきらめていないのに精神病であるはずが無い。
明らかに眼の異常から来ているものなのに精神病と診断する眼科医は
何を考えているんだ」と言われました。
手術をした医者の名前を教えてくれというやりとりもありました。
前述した患者が困って病院を回っているのに困っていると感じない
医者が存在することを嘆いていたお医者様もから、「今までに受けた
病院と診察した医師は必ず記録しておきなさい」とアドバイスを頂き
今ではその通りにしています。
 
手術して2年近くになろうとしています。
今は、以前よりは良くなってはいますが後遺症は残ってしまいました。
一応通院していますが、眼球運動異常は原因がわからないと
ほぼ最終宣告を受けています。
目の痛みも治ることは無く、マシになった程度です。
 
この手術を受けてから本当にいろいろな体験をしました。
勿論診て下さったお医者様には感謝しています(僅かな医者を除いて、ですが)。
今までで解ったことが一つあります。少なくとも日本においては
レーシックの後遺症は原因が解明されず、研究もされず放置されています。
その体質が根本的に変わらない限り、私の眼は絶対に治りません。
治る可能性があってもそもそも後遺症があること自体
を何故か殆どと言っていいほど認めていないので、研究もされず、
放置され、「手術は成功しています」「当クリニックで失敗した例は
ありません」と言う言葉だけが繰り返されるのです。
自分が慣れる、諦めるより他に選択肢が無い状況です。
でもそれにも限界があります。
 
私はこの手術を受け、多くのものを失いました。
人生の楽しさを失いましたし、病院めぐりをしなければならないので
治療費も失いました。そして、それでも治らないのです。
「自由診療だから」というのは責任転嫁でしかないと思いますし、
ガイドラインに違反しても自由診療なら許されるということは
断じてあり得ないと思います。
大体その前に最も重要なインフォームドコンセントは皆無であり、
同意書には「半年ほどでよくなります」と書いてありました。
このような事態になるとわかっているのならばそもそも手術など受けません。
 
レーシック手術では何人かはなんらかの不具合を訴えると言います。
しかし数の問題ではなくて、一人でも重大な後遺症を負う限り
この手術は禁止も含め考慮すべきだと思うのです。
この手術によって不幸になるのは手術を受けた一人だけではありません。
手術後に最悪寝たきりになる方もおり、その周りの方も不幸になるのです。
それでもこの大きな問題を放置し続けながら医療先進国を謳うのでしょうか?
医療の発展の為なら犠牲は仕方が無いとでも言うのでしょうか?
それよりなによりビジネスの為なら多少の犠牲は仕方がないと
いうことなのでしょうか?
 
最後に、私はこの手術に対して肯定する部分と否定する部分があります。
はっきり言えば100%に近いくらい否定的に考えています。
障害を負ってしまったのだから当たり前だと思います。
自分が悪いという呵責は全くありません。手術そのものに問題があったと
今でもそう思っています。私はただ手術台に寝ていただけです。
もし医者から正確に角膜内皮細胞数を
聞いており、かつ「このようなことになる場合もある」と
インフォームド・コンセントを受けていれば、そもそもこの手術を
受けませんでした。
何が悪いのでしょうか?お金もきちんと支払っています。
 
この手術の肯定部分を考えたくもありませんが、酷い眼精疲労で苦しむ人や
この手術によってリスクを背負ってでも大きなハンデから解放される
人であるならば、十分な検査と、「最悪失明するケースも有り得る
(実際にアメリカでは政府の公表しているレーシックのページに
そのような記述があります)」というインフォームド・コンセントを行うことを
条件に、手術を受けることを選択することを認めても良いと思います。
ただそのような状況は、はっきり言って現在の後遺症患者の状態のことを
指しているのではないかと思います。ひどい眼精疲労に苦しみ、大きな
ハンディキャップを背負っているのは正にレーシックの後遺症の患者
そのものです。
 
手術を考えている方には改めて考え直して欲しいと思います。
まず、レーシックではなく眼そのもののことをもっと知って下さい。
屈折度数、老眼、斜視、複視、不同視、網膜異常対応、白内障、緑内障・・・
眼にはいろいろな仕組みや病気があるのです。
その全てを考慮していただきたいのです。
単純に眼鏡やコンタクトの面倒から解放されたいというのは
非常に安易で危険であると思います。
 
お世話になったレーシック医もいますが私はやはりレーシックそのものは
認めることは出来ません。
そのお医者様には大変申し訳なく思いますが私はそこまで人間が出来てはいません。
なぜならこのような状態になったことによって、私は家族を苦しめているからです。
それが全てです。